<aside> 📖 学校は昔、教育が受けれなかった人々に向けて誰でも教育が受けれるように「class」や「ギャラリー方式の授業」などができた。これらは当時最先端だった工場の分業システムから導入されている。 今はどうだろうか?インターネットのおかげで多くの人が自分で知りたいものを知ることができるようになった。そんな時代に画一的な教育がまだ適しているだろうか?

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<aside> 📖 ライフステージの区切りを無くそう。遊びたいときに遊び、学びたいときに学び、休みたいときに休む。いつでも何でも出来る(子供、大人、成人、定年退、老後、何でも全部一緒)なにかに辿り着く道は無限にある=基礎→応用に順番に学習させようとするやり方だけじゃない。それこそ学びの画一化である。学びにも多様性を。

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<aside> 💡 初めは好奇心で始める。そのうち、もっと深く学びたい。そう思った時に基礎(となるもの)を学べばいい(確かに自分が好きになるものってそうだ)

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<aside> 💡 モチベーションが無いものは全部やらなくていいことだ

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<aside> 💡 正解なんて無いものを求め続けること、失敗を避けるべきマズいものと思うのをやめよう。成功するためにとても大事な学びのプロセスと捉える

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<aside> 💡 学びは本来、自分の好きなように自由に行える活動なのに、学校はそれを「教わる」という受け身の活動に変える。学ぶためには必ず専門家が必要と思わせる。

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<aside> 💡 遊びは新しいものを学んだり、創造したり本質的な活動であるはずなのに、仕事や勉強の対局化に置かれたことでそれを癒すエンターテイメントが増えて消費されている

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<aside> 💡 僕たちが子供に対する眼差しを変えれたとき「学び」は「遊び」に戻る。子供だけではなく社会には色んな人がいるんだ、そしてその人たちを愛でることができた時に学びは再び面白さを取り戻す

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